アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その398 今なら行かない の巻

 資料収集でYoyTubeで検索していたら、思いがけなく管理人が20数年前の一時期を過ごしたインドネシアの東南マルク州の様子の動画を発見しました。この動画は、あるカトリック男子修道会の司祭が、この地に赴任、活動の様子をまとめて紹介したもののようです。

 動画はここ数年前のもののようですので、街がずいぶん近代化していると感じました。今から20数年前は、何もないといっても過言ではないほど、本当に何もないところでした。
 金持ちもそうではない人も、便利さを求めて海岸線にそって高床の水上集落を作って生活していました。電気もガスもなく、商店といえば中国系市民の個人雑貨店だけ。映画館といえば、普通のテレビにVCDをうつして観るというもの。
 金持ちは自家発電をしますので、クーラーが使える。また、当時は一般住宅には電話がなかったので、外部との連絡は無線でした。あるいは、電話局へ行って電報を打つか、という感じでした。

 何もない漁村ですから、そこに外国人女性1名というのは、村の誰もが知っているガイジンサン。管理人の村での名前、呼び名は、Nona Jepang.(日本のお嬢さん)でした。

 ある日、管理人の元家政婦だった女性が出産したと聞いたので、彼女の家を訪問しようと、自転車に乗って村の一本道を走りました。どこまでいっても同じような風景。途中途中で村人に彼女の家はどこか?と聞きながら、言われる方へとこいで行きました。草むらの陰にちらっと見えた家。彼女の家でした。

 家にあがらせてくれた彼女は、管理人の突然の訪問に驚いた様子でした。何もない家、あるのは赤ちゃんと彼女とわずかな家財道具。それでも、よく訪ねてくれましたといって、コップ一杯の水をだしてくれました。彼女の精一杯のもてなしだったのでしょう。

 帰りは、一本道を逆戻りすればいいだけなのに、どういうわけか迷子になった管理人。

 一台の軽トラックが通過。でも、少し先でストップ。運転していた男性が、管理人の様子がちょっとへんだと思ったのか、
「家に帰りたいのか?」
と聞いてきました。迷子になった気がすると言うと、おもむろに管理人の自転車を持ち上げて荷台に積んで、
「家につれて帰ってあげる。」
といって、車に乗せて管理人を自宅まで送ってくれました。

 半年弱の村での生活。

 今思えば、すごい冒険だったと思います。何も知らなかったし、若かったからできたのでしょうね。今なら絶対に住もうとも思わないし、行きたいとも思わないです。もう辛い思いをして過ごす毎日は嫌です。