アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その423 観ました!「ALWAYS 三丁目の夕日'64」 の巻

 昨日公開初日でした。劇場はほぼ満席。

 ストーリーは、東京オリンピックを目前に控えた東京の庶民の普段を中心に展開。自動車整備工場を営む男性一家と、駄菓子屋をやりながら小説家人生を歩む男性の家族の出来事を軸に、ちょっと胸キュン、思わず笑ってしまう、あぁ〜、そうだった、と懐かしい場面が、観るほうを引きつけました。

 東京オリンピックがどれほど、当時の日本人にとって大きなものだったのか?映画を観ながらだいぶわかったような気がします。その時代に子供時代を過ごした人たちは、「東京オリンピック」というのが人生の中の1つのキーワードになっていることは、これまでも感じていましたが、オリンピックの開催地になるということは、様々な条件をクリアしないとできないことだし、終戦後、復興、発展を目指してみんなが一生懸命になった当時の人々にとっては、とてつもなく大きな達成目標であり、また結果的に国が大きく変わり発展するというご褒美を得たようなものだったのかもしれません。

 オリンピックをテレビで観ようと、一般家庭にもテレビが普及していく場面がありました。管理人が子供の頃、気づけばそこにはテレビがありました。チャンネルはボタン式ではなく、カチャカチャ回転させるタイプで、テレビがテレビ専用の木製のケース(タンスのような?)に入っていたような記憶があります。

 テレビ番組では、子供だったので覚えているのは今でいうアニメ。でもその頃自分は、
「テレビで漫画を観る」
といっていたように思います。

 管理人が小学生の頃、お小遣いは一日50円。友達の中には月額いくらとまとめてもらっている人もいて、毎日駄菓子屋さんでおやつを買う時、友達はあまり一回ごとの金額を気にせずに買っているけれど、自分は50円をどう使うか???と毎日頭を使っていました(笑)。あの当時は、50円で1つ買うよりも、よりたくさんの品数を手にすることで満足していたような気がします。

 映画の中に出て来た木の板の塀。住宅の塀がブロックではなく、木の板でした。そういうえば、映画の中の子供のように、管理人も学校帰りに友達とつるんで、およその壁をつたい歩きしたなぁ。。。垣根がある家で、落花生を乾燥させているのを見つけては、つまみ食いして
「グエ”〜〜〜〜!まずいぞこれ!」
とみんなで退散したこと、映画のシーンから子供の頃、自分がどんな生活をしていたのか、忘れていたようなことをちょっと思い出しました。

 映画の中から一貫して伝わってくるのは、将来に対する希望。今の日本と大きく違うところです。