多くのキリスト教諸派では、血縁関係がない人でも「兄弟・姉妹」として相手を尊重し、喜びも悲しみも分かち合うことが一般的な習いです。
今回のインドネシア行きは、ある1人の女性の葬儀のためのものでした。
残された彼女の夫や娘の思いはどんなものなのか、自分が経験していないだけに想像できないものです。
その地域ではある意味、有力者であった彼女の葬儀は盛大なものでした。彼女が生前関わった様々な方面の人々が、彼女を見送るために各地から集まりました。彼女自身は敬虔なカトリック教徒でしたが、集まった人の人種も宗教も、そして年齢層も幅広く、いかに彼女がたくさんの人々とこの世での時間を分かち合ったかを感じさせられました。
葬儀ミサを司式した司祭によってミサの中で話された彼女についての思い出話は心にしみるものでした。日本でも治療方法が確立されていない難病と闘いながらも、病に伏している人々への訪問や御聖体を届ける奉仕に時間を費やし、病人への励ましを与え続けたのだそうです。社会生活では一企業経営者として、男性と対等に競争し大きな成功をおさめた婦人。経営の競争社会の厳しさをわたり歩く一方で、一女性としては、貧困ゆえに教育を受ける機会に恵まれない何人もの子供たちを自分の家に招き入れ、学校へ通わせ自立への道を切り拓いたり。管理人主宰の学習奨励金の基金管理もしてくれていた人です。
霊柩車。大型バスのような感じで、ご遺体と遺族が乗っていました。
生きるということは難しく辛いものです。でも、それであるから生きる喜びもひとしおで、励みになることもたくさんあるのだと思います。
自分が最期を迎える時、どんなことを思うのだろう。自分の最愛の人の最期を看取る時、自分は何を思うのだろう。考えるときりがないほどいろいろな思いが頭に浮かんできます。
大勢の墓職人?さんたちが埋葬をします。雨期でスコールが降る中、急ピッチでお墓を整地して埋葬の準備を進めていたようです。雨よけにブルーシートが。。。
今回の彼女の旅立ちに立ちあって、自分に残された時間がとても愛おしく思えました。そして、彼女との別れによって、自分も悔いのない日々を過ごそうと決意した出来事でした。