アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その901 台北 故宮博物院 の巻

 今夜、NHKスペシャルで取り上げている台北故宮博物院
http://www.nhk.or.jp/special/

 数年前、管理人が初めて台湾に行った時、ます最初に行ったのが台北にある故宮博物院でした。短期の台北滞在だったので、9月の猛暑、そして大雨の中、タクシーを走らせて行くほど、どうしても行ってみたい場所でした。

 今、その故宮博物院の所属品が、東京都上野にある東京国立博物館で特別展を開催中。実は、昨日、早朝の仕事を終えたその足で、国立博物館へ行きました。博物館の前に着いたのは午前10時少し前。その時点で、待ち時間が200分。上野公園の人の流れは、国立博物館へ吸い寄せられるように、人々がそちらに向かって歩いていました。
 管理人は待ち時間表示を見るや、あっさりと入場を諦めました。待てない!
http://www.tnm.jp/uploads/r_press/94.pdf#search='国立博物館+故宮'

 今夜のNHKスペシャルでは、どのようにして中国にあった皇帝の至宝が海を渡ったのか、なぜ渡る運命だったのかを解説しています。
 日本に留学経験がある荘さんという男性が、この至宝運搬に大きな役割を担っていたことを初めて知りました。日本が中国に攻め入る中、宝を守らなければという使命に燃え、戦火を逃れるように万を超える物を木箱に詰め、紫禁城から運び出す。紫禁城からは荷車を引いて、駅に着くと列車に積み替えて。。。

 しかし、着いた先が宝物の安住の地ではなく、そこからまた次の場所へと運び出さねばならない運命が。洞窟なら人目につかないだろうと考えたものの、洞窟の中は湿度が高く、宝物はカビてしまう。そこで日本留学の経験があった荘さんは、正倉院を思い出し、洞窟の中に高床式の倉庫をつくり、そこに宝ものを避難させたのだとか。

 しかし、その後、またまた宝物は大陸を離れ、蒋介石率いる国民党が活動の拠点としようとした台湾へ運び出されることとなったというのです。当時、海軍の船を使って移動させたといいますが、その船には一刻も早く大陸を離れようとする市民が押し寄せ、とても宝物を運び出す余裕がない有様だったとか。そこで出された決断は、
「人は戦う能力がある。しかし、物はそれがない。一度壊されたものは元に戻らない。先に、この宝を避難させるべき。市民には別に船を用意するから。」
と説得して、船に乗ろうとする人々を説得して、木箱に詰めたものを船に積み込んで出航したのだとか。とはいて、すべてを運び出すことは無理だと考え、それら宝の中でもよりすぐりの価値が高いと思われるものを選んでの搬出劇。

 そうして3000点以上の宝物が、海をこえて台湾に運ばれたそうです。

 こうした苦労があった一方で、中華民国が成立した後の皇帝は、その後も紫禁城での生活を認められたものの、生活費などとして支給される額は小さく、皇帝は生活苦に悩まされる結果をうみ、皇帝は宝物を売っていたという事実。そうして別ルートで海外に流出したものもかなりあるらしいです。

 今回、東京国立博物館で展示されている物の中で、ひときは人気、興味をひいているのは玉で作られた白菜。管理人は、あまりこの白菜や、またもう一つの代表作品の肉には興味がないのですが、台北故宮博物館でゆっくり見られなかったその他の優れた作品が展示されていればなぁ〜と思い、また日をあらためて、上野に行ってみようと思います。