この頃、朝の連続ドラマでも「埴生の宿」を歌っているシーンがあり、また今朝は題名のない音楽会でも、「埴生の宿」の合唱が流れていました。
この曲と結びつくのは、ビルマの竪琴です。
今朝は、思わずあらためてYouTubeで映画「ビルマの竪琴」をみてしまいました。白黒映画で、これもまた時代を感じさせます。
今年の八月には第二次世界大戦中にインドネシアへ行った日本兵で、戦後、残留しインドネシアの独立戦争をインドネシア人とともに戦い抜いた小野さんという元日本兵がお亡くなりになり、この方がインドネシアに残留した最後の日本兵だとされています。
映画の主人公、水島上等兵と小野さんの残留の経緯は全く違うものですが、共通しているのは戦争が二人の運命、人生を大きく変えたと言えるでしょう。
水島上等兵が部隊の仲間達から日本へ帰る誘いを受けても、無言でそれをやり過ごす気持ちはどんなだっただろう?と、今さらながらに考えさせられました。
ところでちょっと疑問でした。戦争中に日本軍は、本当にスコットランドの歌を歌っていたのでしょうか?日本語の歌詞とはいえ、日本の歌ではないですし。
今朝の題名のない音楽会では、最近の学校の音楽の教科書には、外国の曲が無くなって、かわりに日本の歌がどんどん増えているという特徴があるそうです。では、なぜ外国の曲がそもそもたくさん教科書で扱われたのか?明治時代に音楽の教科書を作らなければならなくなった時、教科書にのせるほどの日本の曲が少なかったからだと言っていました。それゆえに、欧米の曲に日本語の歌詞を付けて採用したのだそうです。
最近の教科書がどうなっているのかわかりませんが、管理人が小学校、中学校の頃は、確かに日本歌曲と一緒に、外国の曲もかなりあったように記憶しています。もしかしたら、日本歌曲も少なくなり、歌謡曲が教科書に増えている?
話は戻って。
あの埴生の宿、なんだか哀愁があります。昨日、丸ビルでガムラングループも埴生の宿を演奏していましたが、やっぱりガムランではなく竪琴が一番いいような気がします。
水島上等兵や小野さんのように、たくさんある選択肢や可能性から、たった1つを選ぶ時、自分なら何に優先権を与えるだろうか?そんなことを考えさせられた作品でした。