アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その1381 岩手の中学生の自殺に思う の巻

 いつものことですが、このような事件が起こると、
「なんでこうなる前にアクションを起こさなかったのか?」
という言葉がそこかしこで噴出。我々は学習機能がないのか?なぜ、毎回同じことをいうのか?

 友達を病気で失う以上に、自殺で失うことは辛いものです。管理人も経験しました。

 岩手の中学生は、十分すぎるほど自分の苦しみを発信していましたね。でも、自殺を防げなかった。自殺以外に、あの子には残された選択肢がなかったのでしょうか。

 誰もいじめられている自分を守ってくれる人がいなかったら、管理人は乱暴、無責任と言われるかもしれませんが、学校に行かない選択肢を選んでもいいと思います。特定の環境で、特定の対象が行ういじめに、自分の命をかける価値がないと思います。自分の命は一番価値があって、特定の環境や特定の対象、人物は、自分の命と引き換えにするものではないと思います。なぜかというと、それら周辺環境は換えることができるから。

 本来であれば、学校に行かない選択肢を選ぶのではなく、学校に通える環境を作り直してもらうことがいいのです。でも、多くの場合、いじめを完全に解決することはできないようで、いつまでも尾をひいている感じがします。

 いじめのきっかけや原因は様々だと思います。でも、日本の子供社会におけるいじめの多くは、自分と他者の違いを認めず、ゆえに、それぞれの価値を尊重できないからだと思います。
 
 管理人は、何十年もの間、インドネシアという国、社会と関わってきました。あの国の、あの民族が我々日本人よりはるかに素晴らしいと思うことは、自他の違いを認め、受け入れ、それぞれに痛みを分かち合い、存在を尊重することです。

 多民族、多言語、多文化の環境ゆえ、そうして違いを認めないことには成り立たないのです。

 「みんな同じように」という大前提がある日本の学校環境では、想像できないことだと思いますが、インドネシアでは「みんな同じように」という前提と実践は極めて難しいのです。しかし、同じようにならない部分は別のことで補う、できないことがあったとしても、他のことができる、そこがその人の素晴らしさだというように、負の部分を他の正の部分を大きく見てあげる寛容さがあります。

 日本の子供にも、そんなものの考え方を知ってほしいと強く願います。