アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その1403 日本占領期に得たこと の巻

 今日、大学の教官に誘われて、インドネシア独立に関するバリ島での闘いに関するあるセレモニーに出席することになりました。明日、インドネシアは独立70周年を迎えますが、今日のセレモニーは独立前の8月16日の出来事に由来するセレモニーだとか。

 招待客は、陸空海軍、州政府高官、ウダヤナ大学の学長、医師など知識階層の方々ばかりでした。開会を待つ間、私を誘った大学の教官と医師の男性が、インドネシアの植民地支配時代、日本占領期時代、独立の話をしていました。

「オランダ時代は3世紀半。しかし、オランダは我々に何も残さなかった。例えば、イギリス領のマレーシアでは、イギリスは人々にも英語を教え、英語が話せるようになった。我々インドネシア人はどうか?オランダ語を話せる人はほとんどいない。オランダはそれぞれの地域の名士だけをピックアップして、それ以外のものたちには何も教えない、何も残さなかった。とてもケチだった。多くのインドネシア人は、教育を与えられず、『Bodoh』(バカ)でしかなかった。日本時代。これはわずか3年ちょっとだったけれど、日本が来なかったら、我々インドネシア人は武器をとって戦うことを知らなかった。確かに日本人の教育は厳しいものだった。少しでも間違えば問答無用で殴られる、体罰だった。日本はインドネシアに対して、アジアの兄貴という名目でアジアの同胞を西洋の支配から解放するということで入ってきた。実際には、必ずしもそうではなかったこともわかっている。だけど、日本が自らの必要のために、インドネシアの若者に対して軍事教練を徹底したことは、のちの独立戦争で我々がオランダに向けて闘いを挑む原動力になったことは間違いない。日本は、オランダと違って、インドネシアに入ってくるや日本語による教育の徹底、戦いのいろはを厳しく指導した。あの厳しさがなかったら、我々はいまだにダメだっただろうと思う。」

 二人とも60過ぎ。親の世代が経験したことを聞き、また学校で習ったことをもとにそう考えているのだと思います。

 管理人が、
「でもどうなんでしょうか。オランダのように支配されるものは、見えない、聞こえない、喋れない者であってもらうことがよいのか、あるいは、日本のように日本語で教育、日本式に徹底的に叩き込むことがよいのか?私にはわかりません。」
というと、二人は、
「いや、日本の方が良いと思う。あの日本時代の厳しさが我々の目を開き、我々がものを言える、考えることを教えてくれたと思う。だから、日本がインドネシアを占領したとはいえ、少なくても厳しい教育を与えたことにより今の我々がある、オランダに武器をとって戦いを挑むことができた、インドネシア人に勇気を与えた、それについてインドネシア人は感謝していると思う。軍事教練も日本が戦力を必要とするために行ったことだし、軍の部隊があるということは、当然そこに慰安婦がいる必要もあった。それは当時のインドネシア人もわかっていたことだ。だから、若い女性たちの中には、慰安婦になるよりもと親たちが急いで結婚させたケースがたくさんあったことも、よく知られている話だよ。」

 知識階層の人が、そんな風に考えているんだ。。。と初めて生の声を聞きました。

 戦中、日本の占領支配を受けた他の国とインドネシアとでは、戦後の日本に対する評価が大きく違います。インドネシアがなぜ、これほどまでに親日国なのか、今日のセレモニーでのひとコマで、少しわかったような気がします。