アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その1936 歴史の生き証人とのクリスマスランチ の巻

 昨日は、戦時中、旧日本海軍の民政部で2年間ほどインドネシアで過ごしたおじいさんとのランチでした。このおじいさんの招待で、当時の経験を聞きながらのお食事会でした。

 

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 95歳のおじいさんですが、記憶はさえさえ、言葉もはっきり、次々といろんな話が飛び出します。今年2度ほどオンラインでこの方の話を聞いていますが、昨日は対面でお話を聞くことができました。

 毎回新しい情報があり、管理人にとってはとても刺激的な時間です。

 

 戦後の高度経済成長期に生まれ、子供時代は豊かではなかったものの、これと言った不自由も感じずに高校、大学と時間をすごした管理人にとっては、自分の親の子供時代の話を聞くのはある意味新鮮です。管理人の両親は、戦時中、まだ小さかったか生まれて間もない時期で、当時のことをあまりよく覚えていないような世代です。

 

 昨日のお話の中で、「へ〜〜〜」と意外に思ったのは、勤労奉仕は南洋にいた人も対象だったということ。このおじいさんは、民政部に配属されていたので事務的な仕事をしていらっしゃったようですが、戦争が終わりに近づく頃には勤労奉仕で手榴弾を作る仕事をしたとか。

 火薬が舞い上がり、服の中に入り込み、汗でくっついてしまって、作業後すぐに水で洗い流してもダメだったようで全身火傷をしてえらい目にあった、、、と笑って語るのですが、火傷の状態がひどく熱が40度近くまで上がり、もうだめかな?と思ったとか、まるで他人事のように話すのです。大変な時代を生き抜いたおじいさん、今も元気、これはズゴイ!ますますファンになりました。

 

 コロナ禍で普段のクリスマスを過ごすことはできず、しかし、昨日は特別なクリスマスでした。