アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その20348 冬の岩手・青森 の巻

 先週、用事があり東北に行きました。東京も寒さが増してきたとはいえ、その寒さは北東北と比べたら寒いうちに入らないのかもしれません。

 

 盛岡入りした日の夜、チラチラ小雪が降り出しました。朝、外を見ると、結構降った感じでした。10センチの積雪と言っていました。

 車が通る道路は雪は消え、屋根や木が白くなる程度でした。

 

 石川啄木の故郷盛岡市玉山地区あたりを電車で通過中に見えた姫神山。白くなっていませんね。田んぼもほぼ雪がないです。

 

 盛岡で用を済ませ、青森県三内丸山遺跡に行ってみようと思いつき、新幹線で新青森駅へ。初めて降りる駅で、土地勘ゼロ(当たり前)。

 新青森駅からタクシーで1500円くらいで三内丸山遺跡到着。タクシーの運転手さん津軽弁炸裂。なんだかよくわからないチグハグな反応をしたので、奇妙な会話でした(笑)

 

 世界遺産に登録された三内丸山遺跡。縄文の人々の暮らしに関して、この遺跡が見つかったことにより、それまで考えられていたことが実はそうではなかったということがわかる貴重な発見だったそうです。ボランティアガイドさんが、一つ一つの見どころを説明してくださいました。この遺跡の中に、漆を用いたものが見つかり、漆を使うということについて世界最古だという話になったそうですが、その後北海道で、それより古いと思われるものが見つかり、その後はあまり漆については触れなくなった、わっはっは。。。と笑っていました。

 ボランティアガイドさんとはいえ、かなり詳しく専門的な説明でした。ぜひ、ガイドさんと一緒に見学すべきです。

 

 青森は盛岡よりも雪が多い印象ですが、この日も10センチほど降った後だと言っていました。無料で長靴の貸し出しがあります。

 

 

 

 この遺跡で見つかった木は栗の木だそうで、DNAを調べると、栽培していたことがわかったのだとか。当時、この辺りは気温が今より2度ほど高く、宮城県仙台あたりの気候だったのではないかと考えられているそうです。

 2度高いと言っても、冬は寒かったでしょうし、寒さをどうやって凌いだのか?獣の毛皮と囲炉裏だけではどうにもならなかったようにも思いますが、どうなんでしょう?とは言っても、当時はそういう気温が日常であり、衣服も住居も質素な感じが当たり前であったなら、縄文に人の体も気候に適応していたのかな?

 

 土器、動物の骨などから作った加工品など、たくさん出土したようです。

 

 縄文人のお家。5〜6人で暮らしていたのかな?くらいの大きさです。当時から、木材を焼いたり燻すと丈夫で長持ちすることを知っていたのだとか。屋根は茅だけではなく土も盛ったのではないかと考えられているそうです。

 

 屋外は、雪に埋もれてしまうと遺跡の穴などは見えませんので、行くなら春から秋ですね。

 

 建物の中には、土器などの出土品展示があります。ここも、無料案内の学芸員?の方がいらっしゃいます。ここでもやはり説明をしてもらいながら見るのがいいですね。とても詳しく教えてくださいます。

 

 三内丸山遺跡のみではなく、北海道から北東北の一帯に広がる遺跡が世界遺産に登録されています。岩手県北部の御所野遺跡もその一つですが、雪に埋もれていること間違いなし(汗)、ということで、次回機会があれば行ってみます。

 

 三内丸山遺跡も御所野遺跡も、ずいぶん昔行ったことがありますが、今回のように案内してくれるガイドさんがいると、とても興味深く見ることができます。