先週末、インドネシアの東ヌサトゥンガラ地方のある村で、10歳の男児が貧困が原因と思われる自殺をした事件が報じられました。
近年の経済発展は目覚ましく、インドネシアは大国入りという外見のイメージがある一方で、貧困層の実態がこの事件で大きくとりあげられる格好になりました。
インドネシアでは、小学校入学前の1年と小学校から高校までの12年間、合計13年間を義務教育とすることで、国民の教育へのアクセスを保障しようとしています。しかし、義務教育を展開は子供の家庭の経済状況とは別問題ですし、今回の子供のように筆記用具とノートを買えないほどの家庭の子にとっては、学校という場所は遠い世界でしょう。
インドネシア政府は、こうした経済状況の家庭には給付金を出していますが、今回の子供の親も、この給付金をうけることができる対象者であったにもかかわらず、受取段階で、身分証に記載されている住所と現住所が一致しないなどの理由で、何度も申請に行ったものの給付金をもらえなかったとも言われています。
インドネシアで義務教育制度が整備される前、貧困家庭の子どもたちは学校に行かないケースが珍しくなく、今回のような事件、問題はあまり注目されることがない部分だったのだろうと思います。
なんともいたましい事件。鉛筆とノートの金額、それと10歳の男児の命は、あまりにも不釣り合いな話です。全く知らない子どもですが、この事件を知り、ずっと考えてしまします。
昨年夏、インドネシアに滞在していた時、日曜日の午後、急にアイスが食べたくなり、滞在先の近くの児童養護施設に立ち寄り、施設で暮らす子どもたちを誘って近所のスーパーにアイスを食べにいきました。
あの時、子どもたちはとても喜び、数台ある冷凍庫の前にたち、
"Tante, boleh pilih ya? Boleh dari kulkas mana saja?"
(おばちゃん、選んでいいの?どの冷蔵庫からでもいいの?)
と聞いてきました。
”Tentu boleh. Pilih saja."
(もちろん。選んで。)
というと、すごく真剣な眼差しで、どのアイスにしようか迷い抜いた末に選んだ1個を嬉しそうに食べる顔が忘れられない、夏の1シーンになりました。
インドネシアの社会は、地域のコミュニティーは弱者に優しいと思っていましたが、地域全体が貧困であったら、助ける人がいない現実を痛感した事件でした。