『週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。』 ヨハネ20・1
今年の復活祭は、昨年よりおよそ3週間ほどおそくおとずれました。昨晩は体調不良で復活徹夜祭(注:徹夜といっても夜明かしするわけではありません(笑))のミサに与ることができませんでしたが、今日は朝、頑張って出かけました。
キリスト教において、復活祭は降誕祭と並ぶ大きな行事ですが、日本では降誕祭だけは誰もが知っていて華やかに祝われます。復活祭は、「それってなに???」のような感じです。
多くの場合、カトリック教会では復活祭に洗礼を受ける方が多いのですが、昨年の復活祭では、管理人はある女性の代母(洗礼の親)を頼まれ、大阪の教会で復活祭を祝いました。
大阪での洗礼式は、管理人が生涯忘れることがない洗礼式だと思います。末期がんの患者さんで、「私、先生のようになりたい。いつも信仰があること、うらやましいと思ってた」という告白から始まった洗礼への道のりでした。管理人は何も働きかけをしていませんでしたが、彼女が私に何かを感じ取ったのでしょうか。それまで管理人が立ち会った洗礼式は、すべてがその後の人生に明るく大きな可能性を秘めた人たちの洗礼式であり、その代母でした。しかし、彼女の場合は、洗礼を受けた後、時計はどんどん最期に向かって進んで行くのです。復活の希望をもって眠りにつくと信じていても、やっぱり辛いものです。
そのちょうど四ヶ月後、彼女は旅立ちました。
ところで、今日のミサ。昨晩、洗礼をうけたとおぼしき方々がちらほら。なぜわかるのか?って?真新しいベールを慣れない様子でかぶっているのですぐにわかります(微笑)。
ベールと言えば、昨年、韓国ソウルの明洞聖堂の売店で買ったベールがあります。まだ未使用。ちょっと変わった柄ゆきで、よく考えたら使うのに勇気がいるかも?
さあ、復活祭を迎え、充実した日々を過ごしたいと思います。