アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その1310 大学だけの問題ではない の巻

 講義は中学レベル、入試は「同意」で合格 文科省がダメ出しした“仰天大学”とは?
という見出しの記事をネットで読みました。内容は、大学によっては、大学のレベルに達していない講義を行っている、また、入試制度そのものも、本来あるべき姿か?というものでした。

 大学の数学で四捨五入や割合について始めたり、英語ではbe動詞から教えたりというのは、確かに酷いかもしれないし、また極端な例なのかもしれません。しかし、こうした状況は、大学だけが引き起こした問題ではなく、そもそもそののもとをたどっていけば、小学校から始まっていると思います。
 中学で3年間英語を勉強しても、高校1年に入った段階で、アルファベットを26文字を書けない子供がいます。それでも中学は卒業します。自分の名前を漢字で正しく書けない子供もいます。自分の名前ですよ。

 そういう子供が無条件に中学を卒業でき、高校でも入れてくれるところがあれば、進学達成です。入った高校では大学進学率だけを気にすれば、レベルも低く、受験者が少ない大学をすすめて受験させれば、大学のレベルは関係なく、進学率だけは確実に伸びます。
 大学だけではなく、私学の高校ではいわゆるアグリーメント入試に近い状況が単願推薦という名目で起きているのではないか?と思う事があります。

 高校も、赤点さえとらなければ卒業要件を満たすので卒業できます。仮に、卒業が危ぶまれるケースには、卒業させるような措置をとっているケースもあるはずです。

 インドネシアの例と比較してみます。
 インドネシアでは、高校卒業にあたっては、国家の高校卒業認定試験を実施、これに合格しない者は卒業できません。つまり、高校卒業は学校ごとの裁量ではなく、国家の規定に満たない人は卒業させないというものです。高卒の質の保障です。小中学校時代に不登校であれば、原級留置は当然の措置でしょう。
 インドネシアの大卒を見てみましょう。インドネシアは幸か不幸か日本のように翻訳産業がすすんでいません。従って、大学のテキストは原書で読むことがめずらしくありません。発音が下手だろうがなんだろうが、英語を話せる大卒は普通にいます。日本も最近、英語、英語といっていますが、近隣の国では今さら?と思っているかもしれません。

 大学に限らず、学校には能力という視点からの順位があって、それは当然だと思います。しかし、下位のランクの学校だから、何でもありというのはどうかなと思います。少子高齢化で、ますます若者がしっかりしないといけない日本社会なのに、今のままでは日本の未来は明るくないですね。