アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その374 被災地に行く の巻

 今日は3・11の被災地三陸方面に行きました。震災後、管理人のまわりには親戚への救援物資を運ぶために、3月のうちから被災地へ向かった人が何人かいましたが、管理人には三陸地方に住む身内がいないので、知人の話を聞いたり、またマスコミが報道する範囲で被災地理解をしていました。

 今朝、釜石市で仕事をしていたことがある方の案内で盛岡から三陸に行くことが決まりました。岩泉を通って宮古方面に向かいました。
 
 途中にところどころ小規模の仮設住宅地区を見かけるようになりました。
「空き地で使えそうなところには、こうしていくらでも仮設を建てて人が住むようになってる。」
ということですが、案内してくださった方の話では、
「おそらくグリーンピアの敷地内に造られた仮設住宅は規模が一番大きいような気がする。ここここ。」
と案内された場所には、ずら〜っと仮設住宅が並んでいました。外見は簡略な住宅という印象で、言葉通り「仮設」でした。これから冬に入ったら、この建物では寒くないのかな?心配になりました。

 静まり返った風景。

 新しくバス停ができ、仮設住宅生活を余儀なくされている方の足となるバスが運行


 「ここが万里の長城といわれていた高さ10メーター級の世界最高の防波堤。でも、ここを乗り越えて波が襲ってきて、結果的にこんな状態。もうきれいに片付けられているけど、あとが見えるところには建物があったわけ。」
と説明されました。

 確かに防波堤の高さは他に例がないほど高いもので、それがある意味この地域住民の安心の砦だったのだろうと思いますが、自然の脅威は世界最高という防波堤をものともせず、大波が押し寄せ、それを乗り越え、周辺地域を破壊し尽くしていきました。

 防波堤の下は建物があった痕跡を残すだけ。


 その防波堤の少し先には、撤去された瓦礫などが山積みされてありました。かなりの量に見えましたが、それでもだいぶきれいになったのだろうと思います。

 瓦礫の山。早く撤去できることを祈りつつ・・・。


 しばらく行くと、一帯がもともとあった建物の基礎がわかる程度にしか残っていない地域がありました。鉄骨造の建物は、その枠組みは残っているものの、低層階部分はガランとした状態。あたかも最初からそこに駐車スペースがあったかのよう。。。反対側に目をむけると、屋根がグニャグニャに曲がって壊れた状態の建物があったり、蔵の壁面が完全にはがれたものもありました。



 この交差点の手前まではかなり破壊された状態に見えましたが、交差点の先は大きく破壊された町並みという感じはありませんでした。


 宮古地区の被災地は、おおかたの物が整然と片付けられた状態で、また季節がら乾燥して閑散とした風景の中に、ぽつりぽつりと壊れた建物あとに向かう人の姿。ここに家があった方なのかな。どうなっているか見にきたのでしょうか。

 復興が思うように進まないとはいえ、時間だけは確実に過ぎ去っていることを感じました。


 宮古駅周辺は大きな被災をすることなく、街の様子は普段通りのようです。駅前のお寿司屋さんで昼ご飯を食べました。お寿司屋さんが、
「水は店の前の道路にはあがってきましたけど、店や建物が水をかぶることはなくてすみました。」
と、当時の様子をお話してくださいました。

 管理人は震災前の町並みを全く知らないので、基礎だけがある街の風景、屋根が壊れ、壁面も破壊するほどダメージを受けた漁港など、今、自分の目の前にある姿が初めて対面するこの街の顔なのです。とはいえ、まるで戦争で爆撃を受けたかのように破壊され尽くした風景は、言葉に表しがたいものでした。

 東京都は全国の自治体に先駆けて、岩手県宮城県の瓦礫などのゴミ処理を引き受けることを決め、第1回目のコンテナーが東京に届きました。都民の中には、このことに対し賛否両論あると思います。管理人は賛成です。東京都の3・11災害支援は、やっと今スタートした、そんな感じがします。

 案内してくださった方が、
「この先はどうやってみんながここで生活していくことができるか、雇用創出も考えないと生活できない。そして、どんどんいろいろな所から岩手に遊びに来てもらって、この土地のものを消費してもらえればいいなあと思う。」
と話していました。
 
  岩手県では仮設住宅設置は完了し、また自衛隊も引き上げ、自立、再生に向け動き出したところのようです。だからこそ、被災しなかった地域にとっては、これからより本格的、かつ長期的な復興再生支援に取り組む時だと思います。どうせ1人でやったってたかが知れているから、、、ではなくて、1人でも自分の身の丈サイズの行動をすれば、それが無駄な動きにはならず、回り回って被災地支援につながる、管理人はそう信じたいと思います。

 そして被災地のみなさんへ
「自分1人でがんばりすぎて疲れないように。ゆっくり確実にひとつずつ。つらくなって息切れしたら休憩しなくちゃ。休憩は次へのステップになるから。」