アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その146 「戦争は終わった!」 の巻

 今朝、NHKの海外向け放送を観ていたら、子供ニュースをやっていました。日本の終戦記念日について、時間を通常より延長して番組を構成したと言っていました。



 ここ5年ほど、管理人は、広島、長崎の原爆投下の日、そして日本の終戦記念日を、かつて日本が「占領した地」で過ごしています。


 インドネシアは、東南アジア諸国の中では、過去の戦争体験を経た国の中では比較的親日的な国だと思いますが、歴史を語れば、韓国ほど激しくはないものの、確実に日本人が理解する第二次世界大戦の像とは明らかに違うものを持っています。歴史はそれを語る立場によって、同じ事象を見ても違った見解になるのは当然のことだと思いますが、日本は、戦後あまりにも自国の歴史を学ぶ機会や方法がなかったと思います。



 今朝の放送で、小学生だった頃、浅草から宮城県学童疎開した男性が、同じくらいの年格好の男の子と、その疎開の地へ訪れていました。疎開先だった温泉は当時とは様子が違っていたようですが、石垣塀は当時のままだったようで、突然その男性は泣いてしまいました。
 とても辛い子供時代を思い出したのだろうと思います。



 思い出してみれば、管理人は両親や祖父母から、ほとんど戦争の話を聞くことも無く過ごし、また、両親や祖父母もあまり話してくれなかったように思います。両親は戦中生まれだと思いますが、あまり戦火が激しくないところで生活していたり、また、あまりにも幼少で記憶にないということもあったのかもしれません。



 大人になって、インドネシアとより深く関わるようになってから、インドネシアへ出征したおじいさんたちから、
「○○君は、コノエだったね。あれはキンポさんか?」
というような言葉を頻繁に聞くようになり、管理人は無知ゆえ、
「戦時中、コノエさんという有名な人か、キンポという有名な人がいたの?」
と、あるおばあさんに聞いたら、口をポカンと開けて、
「嫌だよ、この人は。。。コノエというのは、近衛と書くのよ。宮城をおまもりする人たちで、キンポというのは、近衛の「近」と歩兵隊の「歩」を取って、その後に聯隊の番号が一、二、三、というように付けて、略して例えば「近歩三」と言ってるの。いやぁ〜、高度経済成長期にうまれた子供たちって、みんなこんな風なのかな。。。」
と、あきれていました。



 最近、世界中でテロ、紛争、戦争が起こっていますが、日本では今頃になって?という感が否めませんが、学校で平和学習と称して、広島、長崎、沖縄の戦争、被爆体験者の話を聞いたり、戦争当時のことを学習する機会をつくっているようです。遅いのです。もっと早くから、日本は自分の国の歴史と、戦争に関する様々な立場からの事実を知るべきだったのです。



 明後日、8月17日はインドネシアの第65回独立記念日です。



 日本が敗戦した2日後に独立を宣言した国、インドネシア共和国ジャカルタの大統領宮殿をはじめ、全国各地で独立記念日の式典が開催されます。




 インドネシアも、ここ数年、テロの脅威とたたかう国情ですが、どの地にあっても、人間が人間らしく、その尊厳が守られる世界が実現することを祈るばかりです。