アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その824 こうのとりのゆりかご の巻

 夕べ、九州のある病院が設置している赤ちゃんを一時保護する施設「こうのとりのゆりかご」をモデルにしたテレビドラマを観ました。

 設置当初はかなり話題になった病院ですが、時間経過とともにマスコミも取り上げることが少なくなりました。

 子供を殺す親、育児放棄する親の存在に心を傷めた病院が決断。赤ちゃんの命を救う方法はないのか、と設置したのが、こうのとりのゆりかごなる赤ちゃんの一時保護施設。

 ドラマでも言っていましたが、そのような施設は安易に子供を捨てる親を増やす結果になるのではないかという批判があったとか。
 そういう考え方も否定できないでしょう。でも、管理人はやっぱり、殺されてしまうなら、捨てられてしまうなら、虐待されるなら、育児放棄されるなら、望んでも子供を持てない夫婦や大人のもとで、愛情いっぱいに育てられるという選択肢と可能性に一票。

 つい最近、近所の大型スーパーで見かけた親子。小学校低学年の男の子が、何かをねだって大声で喚き、母親の体を叩き付けていました。母親の注意も聞かず、ひたずら大声で喚き母親を叩く子供。すると、後ろから歩いていた父親が、その男の子の首を両手で締め上げ、言葉とその動作で脅して、子供を静かにさせました。
 管理人はぞっとしました。

 今は公の場で、一瞬の出来事だったかもしれませんが、もしこれが自宅なら、誰の目もないし、親が万が一正常な判断能力がない状態であったら、この子供は窒息死することも容易に考えられること。
 子供を怖がらせるのがよいか悪いかは別として、もし怖がらせることで言う事を聞かせようとするにしても、両手で首を強く絞めるのは異常な方法だと思います。

 なんだかこのごろの日本の大人はちょっと壊れています。みんなが壊れているわけではないにしても、先のお父さんのような例や、それを見ても見ないふりをする周囲の大人、これは管理人を含めての話ですが、無関心天国日本という気がします。
 日本がまだ地域社会がその役割を果たしていた時代には、地域の子供を地域で育てるのが当たり前のようで、自分の親以外にも大人たちが親としての役割をしていた、そういう大人と子供の関係を、マルティプル・ペアレンティングというのだそうです。
 それぞれの大人が、それぞれの立場や年齢に応じたやり方で、子供を育てる。一人の子供の子育てに関わる大人がたくさんいること。これは、現代日本には、もうあまりみられないものだと思います。

 下手によその子供のことに口出ししようものなら、その子の親は不快感をあらわにするのが普通のようです。

 みんな自分さえよければ、自分には関係ないのだから、が考えの中心にあれば、現代の日本の子育て環境のあらゆることが理解、納得できます。でも、それでいいのか?よくないでしょうね。

 とは言うものの、大人がどの子供にも模範になる大人であるのか?と言えば、そこからまず壊れている。

 次世代を担う子供は、国の宝であるのに、その宝物を大事に育めないというのは、なんとも悲しい現実です。