3・11から4年が過ぎた今日。各地で追悼行事が行われたようです。あの時、管理人は近所の人のお宅におじゃましており、自宅を留守にしていました。近所の人の家は、二階建てのアパートの一回角部屋でしたので、さほど強い揺れを感じることもなく、また怖いという感じもありませんでした。ただ、揺れが長いなあという程度でした。でも、あまりにも長く揺れるので、外に避難しようと言っていた時、隣の部屋の人が慌てて飛び込んできました。
「大変なことになっていますよ!東北が!」
と。管理人は携帯のワンセグでテレビをつけてみました。すると、日本列島の太平洋側が、上から下までずっと赤く塗られていて津波の危険を呼びかけていました。
「津波だって。ほんとかな?」
といいながら、みんなでテレビをみていると、恐ろしい光景が。。。
これはただ事ではないと思い、とりあえず帰宅。玄関を開けるや物は崩れ、倒れ、落下し。。。あの状態では、我が家はかなり大きく揺れたに違いありません。台所のコンロは3つ口で幅広ですが、その上に置いていたヤカンの蓋は放り出され、ヤカンはひっくり返っていました。
偶然、地震の直前に近所へでかけることになったのが幸いだったと思いました。もし、一人で家にいたら、きっと腰をぬかしてしまったことでしょう。
あの震災の直後は、日本全体が先の見通しが立たない状態でしたし、なんだか時計が止まってしまったかのような錯覚を覚えるほど、なんだかむ〜っとした感じがしました。
あれから4年。あっという間だったのか、長い年月だったのか、立場によって感じ方はまちまちだと思います。しかし、はっきり言えることは、今でもまだ被災された方が不自由な生活を続けていらっしゃるケースが多いこと。そして、まだ悲しみが癒されないまま、それでも辛抱して日々生活していらっしゃる方が多いということ。
時間とともに必要な支援の内容や方法が変わっていきます。被災地から離れた東京で何ができるkのか、これからも考え、行動したいと思う、そんな思いをあらたにした一日でした。