アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その1682 懐かしさがこみ上げる東部インドネシア・マルクの動画 の巻

 もう30年近くも前、動画で紹介されているインドネシア東部のマルク地方に滞在したことがあります。何度もそこへ行き、地方語も話せるようになり、管理人にとって懐かしいインドネシアの地方の一つです。

 

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 セラム島よりももっと東の東南マルク州アル諸島に滞在した時は、唯一の外国人女性であり、村民はみんな管理人を知っている、でも管理人は全てが見知らぬ村人たち。。。村の一本道をどんどん自転車で進み、帰りにはなんだか迷子になってしまいました。迷子になるの?と思うでしょう。単調で代わり映えのない風景ですので、いったい自分はどこまで戻ってきたのかわからなくなり、困ったなあ・・・と思いながら自転車を押して歩いていました。

 一台の軽トラックが通り、なぜか運転していた男性二人が車を止め、

「ね、そこの日本人!乗せていってあげるよ。滞在先は○○だろう?」

と。

 昼の太陽が真上の暑い時間で、渡りに船でトラックに自転車と自分が乗って帰りました。今思えば、いくら一本道とはいえ誘拐されたら?怖いですね。

 

 買い物はスピードボートに乗って、近隣の店に行きます。ある日、ロブスターを食べることになり、海のど真ん中の生簀へ行き、生きたままのロブスターを買ったり。船がすれ違う時は、互いに持っているものを物々交換したり。今、思い出せば、なんとも贅沢な生活体験でした。家屋は水上家屋で、潮の満ち引きでいろんな楽しみがありました。

 この地域は、オーストラリアに近いので(船で最短距離のオーストラリアには6、7時間とか)、戦時中は日本軍も入ってきて、オーストラリアに向け戦いに出ていったそうです。戦争が始まる前は、民間人が和歌山県あたりの方々を中心に移民、水産業で生業を立てる日本人が多くいたそうです。その当時、日本人が亡くなると、日本から持ってきた墓石でお墓を作ったそうですが、日本人が引き揚げ、残された墓を護る人もおらず。

 ある時、村の仕立て屋のお婆さんの家に行った時、なんと彼女の家の玄関前の石段が、日本人の墓石だったことは衝撃でした。

 マルク地方はクリスチャンが多く、また天性の音楽的才能がある人々が住んでいます。数人集まれば、習ったわけでもないのに3声、4声の合唱が。なんとも麗しいその歌声は、管理人にとっては癒しでした。

 

 今、あの漁村はどんな風に変わったのか?いつかいって見たい気もしますが、何しろ遠い!ジャカルタから日本へ帰るより遠いです、気分的に。

 

 上の動画でナレーターが話す言葉は、インドネシア語にマルクの地方語を混ぜたものですが、それでも懐かしい!オールマルクの地方語だったら、きっと管理人は感動のあまり泣いちゃうかも。

 

 都会のような華やかさ、最新のものはない漁村でしたが、それはそれで都会人には贅沢な空間です。