アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その20117 詩『茹でバナナ』 の巻

youtu.be

 

 この詩は、何度聞いても心に染み入る詩です。子供の頃の思い出を、両親への尊敬の念を込めて謳う詩です。管理人が30年近くも前に滞在したインドネシアの東南マルク州の地方語で読み上げられています。この地方語のサウンドがまた格別です。

 

 簡単に詩を日本語に訳してみました。

 

 

『茹でバナナ』

              エコ・サプトゥラ・ポチュラトゥ 作

 

お母さん、僕は学校へ行くよ

 

坊や、お祈りを忘れないで

弁当も忘れずに持って

お母さんはもう用意してあるわよ

 

それは、毎日母の唇からこぼれ落ちる言葉たち

 

毎朝、僕の世話をする

毎日、幼稚園で

 

庭から出て3歩も歩くと

僕は通りを歩く

秘密の道を

 

実がなっているたくさんのドリアンを数え

そして、弁当のたしにクナリ(木の実)を数える

 

学校に着くと

もう先生が待っている

 

友達はみんなでブロックで遊んでいる

 

先生が、弁当を出しなさい というと

友達は、ピーナツパン、揚げパン、ドーナツを出す

僕は今日 茹でバナナとココナツのサンバルを持ってきた

昨日は揚げバナナを、明日はきっと焼きバナナ

を持ってくる

 

毎日バナナを持ってくるのは

僕の父は国一番のバナナ農家だから

 

日々 僕と弁当を交換しようという友達は滅多にいない

でも、いいのだ

だって先生が僕のと交換しようと思っているから

 

僕はいつもバナナを持っていくことが誇りだった

自分の父が流す汗水の成果を持っていくのだから

 

それがいつも僕の意欲に

 

父の愛、僕は飢えることがない

 

まだ幼くても、僕の父は農民とわかっていた

だから、あれこれ欲しいとねだることなどしない

 

鐘がなって外に出て遊ぶ

僕は幸せだった

貴重な瞬間だった

 

僕と従兄弟のお兄さんは、窓のところに立っていた

僕らは小遣い銭を持っていないから、バナナをもらう

 

兄弟と分かち合って生きる 一番美しいこと

貧しくても、僕らは一つ屋根の下で暮らす

 

下校するまで

互いに気を配り

互いを見守る

 

家に着くと

母は待っている

 

魚と芋を食べる

 

脇の道から

父が畑から帰ってくる

2竿のバナナを担いで

 

青空に放たれる父の笑顔

 

それに勝るものはなし