先週、台湾に台風が被害をもたらす直前に避暑地入りをしました。この頃、台風や火山噴火やらでフライトが予定通りかどうかの保障もなく不安な移動でしたが、なんとかうまくインドネシアに到着できました。
今回は、管理人の仕事の関係で何度もサポートをしていただいているインドネシア人女性の結婚式に招待されたため、式と披露宴に出席するのと、例年通り、夏の暑い東京を離れ涼しいインドネシアで言葉のブラッシュアップをするのが目的です。
バリ島到着の二日後、結婚式の会場となる中部インドネシアのスラウェシ島の北部にあるトモホンという町に移動しました。バリ島から飛行機で2時間半、フィリピンの南端にほど近い場所です。この町は管理人も初めて訪れる町ですが、キリスト教徒が主のインドネシアでは珍しい地域ということは知っていました。
スペイン、ポルトガル、オランダ、日本、中国など、様々な民族との通婚により、他言語、他民族の文化を受容した結果、インドネシアの中でも顔立ちがどこか西洋風な民族です。なんといっても彼らの声質はラテン的。インドネシアのほかの民族とか明らかに違います。
さて、結婚式だけのためにトモホンに行ったわけですが、村人手作りの結婚式は、管理人の人生の中で最も印象深い結婚式となりました。全てが質素で手作り風な感じですが、主催した人も、また招待された人々も、誰一人例外なく満たされた気分になった結婚式と披露宴でした。
日本で行われるような商業的なものは何もなく、何から何までみんなで作り上げたという感じが満載の結婚式でした。
この地域の人々は裏表がなく、そして明るい性格です。初めて会う人たちですが、どの人も、「遠路はるばるようこそ」と管理人を迎えてくれました。
トモホンには、日系人が結構いらっしゃるようです。主に戦時中の日本兵とこの土地の女性との間に生まれた方達とその子孫です。
結婚式を行った教会の信徒会長の男性が、ぜひとも管理人に町を案内したいとおっしゃり、披露宴の後、夕方から町の観光に行きました。
車の中で、その方が、
「僕は本当に嬉しいのです。あなたがこうして私たちの町に、結婚式だけのためにいらっしゃったことを。だから何か少しでも町のことを紹介したいのです。僕はこの町の日系人のみなさんが日本で働いて、故郷に還元してくれることで、この町の生活水準が上がっていくのを実感しています。故郷のために働く日系人と、その日系人を雇用してくれる日本の人々に感謝しています。」
と、その方の思いを語ってくださいました。その方自身は日系人ではなりませんが、見ていると、この町の人々は妬みというものがない人々なんだと思いました。
ところで、この町へ行く時の飛行機。
前日は、出発地のバリ島の隣の島、ジャワ島のラウン山噴火の影響で空港が閉鎖されました。その影響で、翌日も国内製のフライトが乱れていました。管理人は12時20分のガルーダ機に乗る予定でしたが、空港へ行ってみると、17時30分まで遅延とのこと。ひゃぁ〜〜〜、まいった!
仕方ないので荷物預かり所にスーツケースを預け、昼食を取りに空港外に出ました。3時過ぎに空港に戻ると、17時30分発でチェックイン開始とのこと。そこからがまた長い!結局、テイクオフしたのは19時でした。ゲート前に待機する乗客たちにも次第に疲れが見えてきました。
そんな時、なんだか不思議な声が聞こえてきました。
同じ飛行機に乗る乗客たちが歌い出したのです。空港内の雑踏のなか、それをかき消すかのように響く合唱でした。10人くらいの若者たちが、小さな声で歌っていましたが、響きがあり、辺り一帯が和やかな空気に包まれました。オランダの乗客たちも、
「あれ?」
とびっくりしながら、声の出どころを探してキョロキョロしていました(笑)。
マナドの人々は、小さい頃から教会とともに生活し、歌とともに生きている人たち。
アメージンググレイスは、遅延するフライトの疲れを忘れさせてくれました。