アジアな空間

日常の出来事や、アジアに関することを書き綴ります。

アジアな空間 その1401 先生、インドネシアは日本が負けたから独立できたのですか? の巻

 先週、管理人の滞在先に遊びに来てくれたインドネシア人女性が一緒にNHKワールドの番組を見ていた時に発した言葉です。
 偶然、もう一人の日本人女性が同じ部屋にいて、彼女が原爆に関する番組を観ていた時、23歳のインドネシア人女性は、彼女の祖国の独立と日本の占領時代に思いが至ったのだと思います。

 予想外の質問に、管理人はどう答えてよいものか一瞬戸惑ってしまいました。

 インドネシアは350年の長きにわたり、オランダの植民地を経験し、その後、1940年代に入ると、約3年半の日本軍占領期を経験しました。よく語られるのは、オランダの350年より日本の3年半のほうが過酷だった。。。

 さて、23歳の彼女の質問に管理人なりの考えを話しました。
「日本の敗戦はインドネシアが独立を宣言するきっかけにはなったと思う。戦局が厳しくなると、インドネシアを占領していた日本軍はインドネシアで独立準備調査委員会を設立させ、その後、独立準備委員会を設立し、憲法と建国原則(パンチャシラ)を作るようスカルノたちに指示したことは、歴史の授業で習ったでしょう?日本の敗戦とインドネシアの独立宣言がわずか2日違いであることで、日本が負けたからインドネシアが独立できたと思うかもしれない。私が考えるに、日本の敗戦はインドネシアが独立を宣言するための偶然のきっかけであって、本来どの民族も他者の支配を受けることなく人間らしく生きる権利があったはず。インドネシアの独立を勝ち取るために当時戦った若者達の思いも、それが対オランダであっても、また対日本であっても、インドネシアの人々がインドネシアの人らしく生きる権利を強く主張し闘い続けたことは、あなたあなたの方がよくわかっているよね。日本が敗戦しなかったとしても、遅かれ早かれインドネシアは独立を実現させたはず。」
というと、彼女はどこか安堵の顔を見せました。

 今日は安倍総理による70年談話が発表され、またインドネシアでは17日の独立記念日に向けて、大統領演説が始まったりと、立場が違う二つの国それぞれの70年目を迎えています。

 この70年という時間は、日本にとってもインドネシアにとっても、長い時間でした。戦後生まれの管理人は、大きな苦労もなく子供時代を過ごし、大学に入ることにはバブル期を迎え、なんだかバブリーな日本を傍観。バブル崩壊とともに重く暗い時代に突入。とはいえ、今もなお世界のどこかで続いてる生命の危機に直面するようなことは経験せずに生きてきました。

 これが当たり前と思ってはならないことを、23歳のインドネシア人女性の発言から、あらためて考えさせられました。

 管理人も小さな市民の一人ですので、誰かのために何かをするほどの力は限りがありますが、そういって諦めることなく、小さなことでも隣人に寄り添い役に立つ生き方をしたい、それが戦後70年目の夏を迎えた管理人の思いです。